rat's eyes:脆弱なラショナリストの視点

脆弱なラショナリスト「建築家:岡村泰之」の視点

クライアント打合せなど

f:id:yoaa:20181209091617j:imageきのうは午前中、いくつかのプロジェクトの構想的スケッチをする。プランニング、仕事に進め方などについて整理する。

 

午後一番、ブログを書く。建築の空間デザインについて、小難しいことをアップする。

 

午後2時から、葉山の住宅のクライアント実施設計打合せ。これまでペンディングになっていたことのの確認などをする。年明け見積出しなので年末まで慌ただしい。

 

仕事を上がるまで、午前中にやっていた構想的スケッチを続ける。

世の中の大体のことには、理由と原因がある。建築にも・・・

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世の中で行われていることには、必ず理由と原因がある。また、理由と原因があって初めて何らかのアクションがなされる。当たり前のことだが、ときどきそれらを見損なうことがある。どういう理由や原因でそのことがなされているかを考えることはとても重要である。また何かが行われている場合、その理由と原因は何かを考えることも同様である。それは、ものごとの本質を知ることでもあるからだ。とくに、現在なされている政治についても、理由と原因の視点から読み解いていくとさまざまな矛盾に気付いてくる。どこに利権が流れているかが見えてくるのだ。

 

話を大きく変えて、建築の話をしよう。建築の設計も、理由と原因によってつくられている。技術的なことはもちろんだが、空間やデザインにおいても理由と原因があって初めて豊かな空間と優れたデザインが生まれるのだ。

 

もう10年くらい前になるだろうか。自分より、10数歳若い建築家と話していた時のことである。優れた建築に共通するものは何かという話になった。自分は、常日頃から考えていることを話した。コーリン・ロウの虚の透明性(phenomenal transparency)を実現している建築だというと、即座に彼も同意してくれた。あまりこの話で一致する人と出会わなかったのでとてもうれしかったことを覚えている。虚の透明性というより、現象的透明性といった方がしっくりくる。ただ、ガラスなどの透明な材料によ透明な建築ではない。それは、複数のオブジェクトを見えざる規則によって構成することによって空間をつくり出し、空間に深みを与えデザインに豊かさを与えてくれるものである。彼とは、世界中の建築で、虚の透明性を実現しているものを上げていった。ほとんどのものについて意見が一致した。

 

優れた建築の理由と原因は、コーリン・ロウの虚の透明性(phenomenal transparency)を実現できているかどうかによる。他にも、空間やデザインを豊かにするものはあるだろうが、おそらくもっとも大きな影響を与えているものであることは確かである。

分からないことが何かを知っていることの重要性

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一般に、人は成長していくにつれて、視野が広くなり、知っていることが増えていく。この時重要なのは、何について分かっているかは必要だが、分からないことが何かを知っていることである。

 

現時点から将来、何か新しいことを学んでいくとすると、何について分かっているだけでは新たな知を吸収していくことは難しい。新しい何かは、その人にとってただ単に未知なものであるから、ある何かについて分かっていても対応の糸口を見つけることができないのである。

 

分からないことが何かを知っていれば、つぎに自分の前に現れる新しい何かは、まず今の自分にとって未知のものであることは理解できる。ただ単に未知なものではなく、自分の中にある、ある分野の分からないものであることは了解できるわけである。何が違うかと言えば、分からないことを知っているということは、どの分野の自分の未知なものということが理解できているということである。ここには未知なものに対処するための糸口がある。大きな違いである。

 

ここまでのことは分かっているということと同時に、これ以上のどの分野については分かっていないということを了解しておくことはとても重要である。この姿勢は、常に新しく起こることに対してオープンであることを示している。

水曜定休日、テニスなど

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きのうは水曜定休日。朝は家で新聞を読んだり、テレビを観たりしてゆっくり過ごす。

 

午前9時半ころ、家を出て経堂まで散歩する。散歩で使う道の横を20m道路が計画されており、家屋の取り壊しがどんどん進んでいる。まちの風景が大きく変わってしまった。経堂では本屋2軒を見て回り、本を2冊購入する。駅前の商業複合施設の屋上でしばし本を読む。早めのお昼を食べ、コンビニで買い物をして家に帰る。


お昼前、自転車で経堂のテニスクラブに行く。テニスの出来はまずまず。いつもと変わらない。テニスのあと、サウナで汗を流しからだを洗って入浴する。

 

いったん家に帰って、外テニスの準備をして自転車で羽根木公園に行く。いつものレギュラーメンバー6人でのテニス。なんと、2面コートが取れていてキャンセイルしていないことが発覚。3時から4時まで2面を使って、試合とサーブ練習をする。午後4時、公園事務所に電話をして暗くなったという理由で1面をキャンセルして、残りの1面で午後5時までテニスをする。コートの抽選のウェブサイトが変わったので混乱が生じている。帰りに仲間2人と来週の忘年会をする店を確認のために見に行く。

 

自転車で家に帰り、つまみになる料理をつくって、ビールと赤ワインを飲みながらかみさんといろいろな話をする。テニスで疲れたので早めに就寝する。

 

一昨日きのうの気温の高さは異常であった。今日からは寒く、体調を崩さないように注意しなければいけない。

打合せ、構想的スケッチなど

f:id:yoaa:20181205083940j:imageきのうは午前中、スタッフと現在進行中のプロジェクトの次回打合せの内容と進め方について話し合う。そのあと、ブログ更新などをする。

 

午後からは、メール送付、ウェブへのデータアップなどの作業を済ませる。そしていくつかの雑用をする。

 

そのあと、仕事を上がるまで、現在進行中のいくつかプロジェクトについて考える。プランを考えたり、仕事の進め方を考える構想的スケッチを続ける。

 

きのうは、12月にしては異常に暖かく気持ち悪い天候であった。アジア全体の産業の発展が気候に影響を与えているのだろうか。アジア、地球レベルで環境のことを考えなければいけない時代になってきたようである。

チームで考え、チームで行動する

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人は一人では生きていけない。誰かに支えられ、誰かを支えながらでないと生きていけない。とくに仕事において、それが顕著に表れてくる。

 

人はチームで生きていかなければいけない宿命にあるのかもしれない。チームには大きく分けて、2つのタイプがある。立場的なチームと、目標に向けたチームである。両者は重複することが多いが、敢えて分けて考えると分かりやすい。

 

ある会社があるとする。その会社員同士は、利害関係上立場的チームとして行動していかなければ会社が成り立たない。もし、複数の会社、あるいは一般市民と組んでなにかのプロジェクトを行う場合、会社としての立場的なチームに加えて、プロジェクトの目標に向けたチームが発生する。人はいくつかのチームに関わりながら生きていくことになる。社会で生きていくということは、チームで考え、チームで行動していくことが必要なのである。

 

住宅を建築するというプロジェクトの場合、設計事務所は設計をするという立場を持つチームである。設計していく中で、そこにクライアントが加わると、クライアントが長きにわたって幸せに豊かに過ごすことができる「器」をつくるというプロジェクトの共有すべき目標が発生する。設計事務所とクライアントは、設計を進めていく上でその目標に向かって協力し合うチームとなる。工事が始まると、今度は工務店が加わってくる。そこには、設計事務所とクライアントが設計を進めてきたものを具体的に「もの」としてよりよいものにしていくという新たな目標が生まれてくる。設計事務所とクライアントと工務店は、その目標に向かって協力し合うチームとなる。立場と目標が変化していく中で、それぞれのチームで協力し合うことでほんとうにいい納得のできる住宅を生み出すことができる。

 

世の中全体も、こうしたさまざまチームが点在しながら、立場をわきまえて、よりよい目標を共有しながら、より住みやすいものしていけたらと思う。

日曜日、散歩と読書など

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きのうは日曜日。かみさんが前日から旅行に行っているので一人の休日である。午前中は家で、朝風呂に入ったり、テレビを観たりしてゆっくり過ごす。

 

午前11時前、梅ヶ丘方面に散歩に出掛ける。ラーメン屋「勝や」を覗いてみると、1つ席が空いていたのですかさず入店し、ワンタン麺を注文する。おそらく3ヶ月ぶりくらいのワンタン麺である。そのあと、羽根木公園まで散歩する。ベンチで本を読もうかと思ったが少し寒いので散歩するだけで帰る。途中、コンビニで買い物をして家に帰る。

 

家に荷物を置いて、今度は経堂方面に散歩に出掛ける。本屋2軒を見て回るも買いたい本は見つからず。駅前の商業複合施設の屋上でしばし読書をする。いま「アナキズム」の本を読んでいる。栗原康さんの著書である。何年か前、今はなき紀伊国屋書店南口店で、彼の大学の先輩の白井聡さんと登壇された講演会を聴いているので親近感がある。アナキスト大杉栄の研究者である。著書は、スピード感がありポップな文体で刺激的である。読み進んだのは、まだ半ばだがもう少し楽しむことができる。いずれにせよ示唆深い本である。スーパーで買い物をして家に帰る。

 

家に着いたのが、午後3時くらい。手持無沙汰なので昼風呂に入ったり、料理をつくったりして時間をつぶす。午後4時過ぎから、ビールを飲み始める。そうこうしている内にかみさんが帰ってくる。つくった料理をつまみに赤ワインを飲み、旅行の感想などを聞く。早くから飲んだので少し酔っぱらったので、早めに就寝する。