rat's eyes:脆弱なラショナリストの視点

脆弱なラショナリスト「建築家:岡村泰之」の視点

大体のことが、思ったようにならないのが世の中である

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これまで人生を生きてきて、また建築の設計をしてきて、つくづく感じるのは、自分がこうなるだろうと論理立てて考えてきたことが、思い通りに進む確率はかなり低いということである。

 

人生については、建築家になることはとりあえず達成できたが、仕事の有様、家族、社会との関わりなどは過去に想像したものとは全く違う展開になっている。難儀なことである。

 

建築の仕事では、設計から現場までに大体3~5個は思わぬアクシデントが起こる。地中障害、近隣問題、製品の製造中止、大災害による影響など、思わず思考停止しそうなことが起こる。

 

設計では、クライアントの方が想像してあらかじめ準備していたことは自分の経験ではほとんどがそうはなっていない。一番顕著なのは、親御さんが年老いたら来てもらう部屋を用意しておいても親御さんがいっしょに住まれたということは一度も聞いていない。不思議なものである。でも、本当に親御さんが引っ越して来られるということが起こった場合、部屋がなければ来てもらうことができない。空いた部屋は有効に別の用途で使えばいいと考えるとき楽になる。

 

このように世の中は想定外のことが起こり続ける。必ずこうなるとだけしか考えていないと、思考が停止しこの状況に対処することができない。思った通りにならないこともあり、どのような展開がありうるのか、全方向にぼんやりとでも想像しておけば、その問題に対応できる態勢をつくることができる。思わぬことが起こったときに頼りになるのは、これまでのいろいろな出来事を学び、社会の広がりがどのようになっているかを知っていることである。つまり、不測の事態に対処するには「教養」というものが必要なのである。

 

これまで、不測の事態についてわるい方向について書いてきたが、いい方向に不測の事態が進むこともある。あまりペシミスティックになることなく、泰然と構えて生きていくと少し気が楽になる。というか、不測の事態を楽しむ心境になると、世の中のいろいろなことが見えてくるのだろう。

 

テニスなどの世界トップレベルのスポーツ選手などは、このような境地を身に付けているから強いのだろう。