rat's eyes:脆弱なラショナリストの視点

脆弱なラショナリスト「建築家:岡村泰之」の視点

立ち位置不在の時代


社会的風潮として、自分のあたまで考え
自ら行動する人が少なくなっているような
気がする。これらの行為は自分の自由を
守るために必要不可欠なことであるにも
かかわらず・・・。


社会の中で自らの自由を行使するために
は社会に貢献するという責任を負うことが
必要条件である。


いま、自由といっても何に対する自由な
のかが不明確になっている。それゆえに
わざわざ社会に貢献して自由を行使する
というやっかいなことを避けている傾向
があるのだろう。


冷戦時代は、右か左かといった立ち位置
が明確にあった。その立ち位置から考え
行動することができた。冷戦以降、そう
した立ち位置が失われどこに立ってどう
考えどう行動すればいいかということが
難しくなってしまった。


というか、自分の立ち位置を見つけるに
は社会のこと自らのことよく分析し考え
るという面倒くさいことをしなければいけ
ない。わざわざそんなことをしても意味
がないというのが大方の考えなのだろう。


しかし、そんなことでは社会に参加して
いるとはいえない。本当の意味で社会に
貢献して自由を行使しない限り、社会と
関係することは難しい。


自らの立ち位置を熟考し措定し、自ら考
え自ら行動することはとても大事なことで
ある。