rat's eyes:脆弱なラショナリストの視点

脆弱なラショナリスト「建築家:岡村泰之」の視点

一日プランを考える

f:id:yoaa:20190302104540j:plain


きのうは一日、これから始まるプロジェクトのプランを考える。プログラムが複雑なので、ここまで苦戦してきたが、まずは基本に戻って、要求されているものは何か、法的に最も有効な配列はどうか、機能的にどうするのがいいか、などについて整理する。その中で優先順位が高いものはないかを整理する。そのように考えていく中で、優先順位の低いものでなにを諦めるかを導き出す。そうしていくうちに、だんだんプランが浮かび上がってくる。プランを考えることは、社会と将来の住人とのコミュニケーションであることに気付く。

 

自分のあたまで考えることは、それ自体が周辺環境とのコミュニケーションともいうことができる。文学も音楽も絵画も彫刻も、考えてつくることは直接人と関わらない場合でも周辺環境とコミュニケートすることで生み出される。人間という存在は、生まれたときから社会的存在であり、自分のあたまで考え、他者の考えとすり合わせ、社会をよりよくしていくようにあらかじめセットされているのかもしれない。

 

これまで、芸術的な分野について語ってきたが、世の中のあらゆる仕事も自分のあたまで考えてなにかを成していくものなら、みな周辺環境とのコミュニケーションによって成り立っているともいえる。