rat's eyes:脆弱なラショナリストの視点

脆弱なラショナリスト「建築家:岡村泰之」の視点

研究日

f:id:yoaa:20190623095153j:imageきのうは朝、ブログ更新、交通費精算などの雑用を済ませる。そのあとは、1日建築の研究日とすることにする。

 

建築本や文献に目を通しながら、これからの建築のことについて考える。自分が学生の頃は冷戦時代だった。コンセプチュアルな建築をつくる教授の研究室に所属していた。今から考えると、コンセプチュアルアート、コンセプチュアルアーキテクチャーは、冷戦時代の保守に批判的などちらかというと左派の思想にリンクするものであった。だから、冷戦終結後コンセプチュアルなものが消えていったのだろう。今は、イデオロギーから離れて身体性や環境がアートや建築の主題となっている。自分は、コンセプチュアルな建築の構成方法を深く学んできた。コンセプチュアルを目的とするのではなく、身体性や環境を考える中で、コンセプチュアルな構成方法を使って建築をつくっている。建築の構成を考える上ではまだまだコンセプチュアルな思考は有効である。

 

そんなことで、きのうは1日、これからの建築を考える日であった。時々こういう日をつくらないとあたまが錆びる。