感染症の恐ろしいところは、ウイルスがどこにあるか見えないこと、誰が罹患しているか分からないことである。
だからこそ、感染症はいろいろなものを分断する。まず大きいところでは、グローバリズムを分断する。これまで世界中を行き来していたものが、簡単には行き来できなくなる。世界では国と国の移動、国内では都道府県の移動、個人的には広範囲の移動は限定される。
個人的なところで、友人と飲みに行くことができない。友達とテニスができない。いろいろ行きたいところに行けない。狭い範囲での社会も分断されるのである。知り合いの大学教員に聞いた話なのだが、オンライン授業をしていて、教員と学生の距離は縮まったのだが、学生同士は分断されている状況になっているらしい。1年生はとくに厳しい状況に立たされているようだ。
これまで楽しく、当たり前に交流したり運動したりしてきたことができなくなる。それらこそが生きがいというものなのだがそれさえ奪われる。
感染症は、歴史的に見ても世界のありようを何度も変えてきた。とくにより多いのが覇権の移動である。流行が終えたときにどんな世界が待っているのだろうか。感染症の拡大はグーロバリズムや新自由主義への警告と捉えることができるかもしれない。世界中の高速の移動は、なんとなく不自然なものだと思ってきた。各国のナショナリズムも感染症に呼応しているような気がする。
世界的に見ると、グローバリズムの再編、国家内では自国内での自給体制の確立、個人的なところではリージョナリズムの再考が求められるだろう。感染症蔓延のさなかにあって、じっくり自分のあたまを使って考えてみたいと思う。