rat's eyes:脆弱なラショナリストの視点

脆弱なラショナリスト「建築家:岡村泰之」の視点

ツール


最近、出先で日記を書くことが多い。
そのツールは、携帯電話である。
さすがに女子高生のようにカツカツ打ち込むことができない。
電車でこれをやっていると、いい親父がなにやっているんだという
被害妄想的な感情にも襲われる。


近頃はだんだん慣れてきたが、最初は最終的にweb上でどのように見えるか
イメージできなくて、どこで改行すればいいか判断できなかった。
スケール感が違うんだな〜などと文句ばかりいっていた。
また、打ち込みの速度が遅いので結構書いたなと思っていても、
実際見てみるとしょぼかったり・・・。


でも、悪いことばかりでない。
ものごとが起っているその場で書くことができるため簡潔ではあるが
適切な言葉で表現することができる。


思い起こせば、文章をワープロで書くようになったときも、
図面を描くのを手書きからCADに変えたときも、同じだった。


そう、携帯電話もコンピュータもCADも何かをするための道具に過ぎないのである。
問題はこれらを使ってなにを伝えたいか、表現したいかだ。


世の中、道具や手段が目的になってしまって、なにをどうしたいかという
本来のやるべき目的が希薄なってきていることが多く見受けられる。
なにをどうしたいかというベクトルを明確にもって、
それを実行するにあたって、最適な道具・手段を使って、
一個一個着実に実行していくことが必要なのだ。