rat's eyes:脆弱なラショナリストの視点

脆弱なラショナリスト「建築家:岡村泰之」の視点

忘却力


建築の設計は、コンセプチュアルなことから具体的なこと、
非常に細かいことから大きな全体的な流れ、コスト管理、
人間関係といった多岐にわたる能力を使う仕事である。


つい最近まで、すべてのことを把握しておかないと気が
すまなかった。しかし、人の能力には限界がある。
細かいことまで覚えていても全体の流れがうまくいかないと
プロジェクトは失敗する。いまでは、大きな流れに関係ない
ことは、メモを見ればわかるようにして記憶から消えるものは
しょうがないと決め込んでいる。


人間関係についても同じようにすることにした。以前は一度
お会いした人の顔と名前はかなり正確に覚えるようにしていた。
でもこれにも上限がありすべて記憶することはあきらめた。
このためときどき失礼なことをすることがある。ゴメンなさい。


とくにこの仕事に関わる人は、いやなことを忘れられる能力は
必須である。いや、身につけなければいけない。私が朝、風呂に
入るようになったのは、きのうまでの記憶を洗い流すために
そうしているのだ。「禊」は忘却の儀式なのだ。


いやなことは忘れてどんどん先に進もう。


写真は、世田谷線のわきに咲いていた華である。
なにか忘却っぽいので載せてみた。なんという華だろうか。