rat's eyes:脆弱なラショナリストの視点

脆弱なラショナリスト「建築家:岡村泰之」の視点

サッカーが語りかけるもの


いまさらながら、ワールドカップドイツ大会アジア最終予選のこと。
北朝鮮戦は久しぶりにワクワクしながら観戦できるいい試合だった。
柳沢のシュートも悪くなかったが、やはり大黒のオフサイドギリギリの
飛び出し、そこにすばらしい田中誠のパス、そして大黒の落ち着いた
切りかえし、そして確実なフィニッシュ、とてもよかった。
素敵なゾクゾク感と安定感。
大黒という選手はなにかぬきんでたものをもったプレイヤーだ。


サッカーのいろいろな試合を観ていると、勝ち負けに関係なく、
おもしろい試合とそうでない試合がある。
選手同士になにかのつながりがありそれが試合に表現されている場合は
負けていてもおもしろい。得点が決まりそうなゾクゾク感があるからだ。
ボールの動きに従って、まるでそこしかないというポジションに数人の選手が
入り込み、キープレイヤーからの魔力的なスルーパス、そして美しいシュート。
この感覚がなんともいえない。これがサッカーの魔力だと思う。
私がサッカーを観るのはこの感覚を味わうためだけだといっても過言ではない。


サッカーは、手は使ってはいけない、オフサイドをしてはいけないという
単純な二つの禁止事項によるシンプルなスポーツだ。
ルールはシンプルだが、展開は比較的スローで、得点も入りにくい。
それゆえに、社会的組織のアナロジーとしてよくたとえられる。
私自身も試合を観ながら、いまかかわっている組織のこととよく重ね合わせる。
1対1の強さなのか、システムはどうか、戦術はどうか、持ち駒はなにか、
選手の怪我の状況はどうか、つねに、個と組織の問題が付きまとう。
もちろん、1対1の強さも、組織力も、重要だ。
でも一番重要なのは、ゾクゾク感をどのように引き出していけるかが問題だと思う。


それにしても、ワールドカップ本大会出場を決めて、帰国しての中田英寿
苦言は身にしみた。


きょうは、U-20のペナン戦、あすは、正代表のコンフェデレーションカップ
メキシコ戦だ。勝ち負けは別として、とにかくおもしろい試合をしてほしい。