rat's eyes:脆弱なラショナリストの視点

脆弱なラショナリスト「建築家:岡村泰之」の視点

公共建築の「空間性」について


きのう、事務所は定休日だったので最近できた近くの公共屋内プールに行った。
地下にあるプール。
とってつけたトップライトとドライエリアに面した小さすぎる窓。
(空を感じるトップライトもあるし、広がりを感じるドライエリアの窓もある。)
まったく、なんやこれって、感じ。


バブル以降、公開コンペで公共建築の設計を募ることが多くなってきたが、
大型の公共建築のみならず、地区公民館などの小規模公共建築にも
その場所に合った人々が快適にくつろげる「空間性」を導入してもよいのでは。
ほぼ同じ価格でできるのであるならば絶対「空間性」のある建築のほうがいい。
「空間性」ということばはおそらく「公共性」ということばに近い。


どうすれば、小規模公共建築を「空間性」のある建築にすることができるのか。
おそらく、入札制度あたりにも問題があるのかもしれない。
ちょっと考えてみよう。


●写真は、事務所近くの厚生会館。よく見るとコルビュジェばりの建築。
文章の内容とは無関係。