rat's eyes:脆弱なラショナリストの視点

脆弱なラショナリスト「建築家:岡村泰之」の視点

不得意なことにチャレンジし続ける


人には、ひとつくらい器用にこなせることがある。
でも、その器用さに頼ってばかりいると
新しい発見もないし、おもしろい展開も望めない。


スポーツでも、器用に何でもこなせる人は、
器用さが発展を妨げ、なかなか一流には
なれないようだ。


器用にできないこと。
また、器用さに頼らないで不得意なことに
チャレンジし続けることが活気のある生活をもたらすし、
一流になる道を開く。


建築でも同じことがいえるかもしれない。
学生時代から器用で何でもできて優秀な人は
まっすぐその道に進んでいないような気がする。
不器用でどうしようもなかった人が同じ道を歩んでいる。


一流と言われる建築家も僕が知っている限り、
コミュニケーションや人付き合い、そして
ものづくりにも不器用な人が多いように思う。


不器用であるがゆえに、伝えたいものが明確になる。
訴えてくるものが力強い。