rat's eyes:脆弱なラショナリストの視点

脆弱なラショナリスト「建築家:岡村泰之」の視点

建築家という職能


私はなりたいと望んで、いま建築家という仕事をしている。
そのまま、ここまですんなり(実はあまりすんなりでも
ないかもしれない)来られたということはかなりラッキーで
あるといえよう。


ふと、建築家の職能ってなんだろうと考えることがある。
建築家って、ものごとをロジカルに考える理系的な人たちだと
思われていることが多い。
実はそうでもないのが建築家である。
ふだんから、かなり人から見るとバカみたいなことを考え
ながら仕事をしている。


もちろん、構造的なこと(強度)、機能的なこと(使い勝手)、
設備については専門家としてきっちりと仕事はこなす。
その一方で、普通の人とはまったく違う視点で建築を見ている
ことがある。いわば、ふつうの話や打合せでは見えてこない
次元のことを考えているのだ。建築家が空(くう)をにらんで
いるときは大体そうであると考えていい。構造や機能の話を
しているときでも、それらのことを考えながら空間のことなどを
想像している。また、設備のことを考えながらも別のしくみに
ついて思いをめぐらしている。


これは気まぐれや身勝手な行動をしているのではない。
これこそが建築家の職能の中でもっとも重要なものである、
具体的に見えてこないしくみ(空間)を考えるということが
クライアントに提供できる成果物のなかでも、もっとも
特徴的なものであり、豊かで快適な住宅をつくるための源でもある。


すくなくとも住宅という建築においては、
構造的にも、機能的にも、設備的にも、そして見えない次元
(空間)についても、すべてを総合的に考えてよりよくまとめあげ、
クライアントが快適に豊かに暮らすことができる建築をつくって
いくのが建築家の仕事である。


●写真は、事務所前の樽ビオトープ
金魚も4〜5cmまで大きくなった。