rat's eyes:脆弱なラショナリストの視点

脆弱なラショナリスト「建築家:岡村泰之」の視点

いっしょに考えつくっていくこと


完全オフのときに限ってこの雨。
お昼を食べに、梅ヶ丘の古典的な定食屋さんに行く。
ほうれん草のおひたし、つぶ貝の酒蒸し、ハムエッグで
ビールを飲む。写真は梅ヶ丘の民家の桜。
この寒さと雨で桜もこれで終わりか・・・。


なんども言ってきたり書いてきたことだが、
思い出したときに再確認しておきたいからまた書く。


クライアントと設計者と施工者が力をあわせて、
建築をつくっていくことについて。
お金を出すのはクライアントだが、お金を出してしまえば
建築に対する責任は、すべて設計者と施工者にあるという
簡単な構図では、少なくとも住宅に関してはいい結果を
もたらさない。それぞれの立場で利害関係を持ちながらも
それぞれの役割に対する責任を果たしながら、クライアントが
末永く快適に幸せに過ごすことができる住まいをつくるという
大目標に向かって、みんなでいっしょに考えつくっていく必要が
あると思う。


一見、クライアントにはなんの責任もないようにみえるが、
実は、選択して決めたことに対しては大いに責任がある。
まず、土地を選ぶこと、つぎに設計者を決めること、そして
施工者を選択すること。プランを決めること、仕上げを
決定すること、などなど選択し決定することには、
クライアントの責任がつきまとう。


クライアントは自分たちがどのような住まいに住みたいかを
最もよく知っている参加者なのである。設計者は、クライアントに
ふさわしい建築をデザインすることが得意な参加者であり、
施工者はクライアントと設計者が望む建築を効率よく確実に
つくることができる能力をもった参加者である。


この三者が力を合わせ、それぞれの領域で責任を果たしていけば
いい住まいができないはずがない。いい関係がコストダウンを生み
よりよい住まいづくりを可能にする。


また、いい関係は出来上がってからのメンテナンスを効率的な
ものにしていくことは自明のことであろう。


国際社会、国政、民間企業、世間もこのような関係が築ければ
いろいろなことがうまくいくはずなのだが・・・。
なかなかそうはならない。


だからこそ私は、これからも、みんなでいっしょに考え、つくっていく。