rat's eyes:脆弱なラショナリストの視点

脆弱なラショナリスト「建築家:岡村泰之」の視点

解体屋と構築屋


近頃、事務所近くで解体工事が目立つ。
来年3月末建物完成を目指すための解体なのだろう。


そんなことで、解体ってなんだろうと考えてみる。
建築の設計と建設は、無秩序な与条件に秩序を与え
依頼者に総体的な利をもたらすものである。
ならば解体は、秩序あるものをもう一度カオスへと
追いやる作業なのか。実際は、新築への一手順でしか
ないというケースが多いのだろうが・・・。


以前は、バサバサとユンボで一気に壊せばよかったが、
今はそうはいかない。分別処理するために、木、鉄、
ガラス、プラスティック、などなど、壊しながらも
分類していかなければいけない。カオス化というより、
「分類」という世界認識のための作業のようにも思える。


こんなことを考えていると、設計作業ももう一度世界の
ありようを見据えて、考え直す必要があるような気が
してきた。建材は、より長持ちさせるために化学薬品を
混入し、物質的に安定した合成樹脂を多用する。また、
面材の強度を保つためにどんどんハイブリッド化していく。
いまだ分類不可能性への道を邁進しているのである。


より少ない材種で建築を構成できないだろうか。
また、壊されることを前提に分類しやすいようにつくる
ことができないか。そして、再利用も。


解体現場を見てそんなことがアタマをよぎった。