この駅前には、まちの余白がないと思い込んでいたが、
いやいや、まちのみなさんは目ざとく見つけていらっ
しゃる。
お昼を食べに駅前ロータリーを通ると、ある人は、
花壇の自分が植えた草花に水をやり、写真の花壇前
では、数人でなにやら植物談義に花が咲いていた。
キチキチに計画されつくされていないところがいい
のかもしれない。裏を返せば綿密な計画がされて
いないということだが、余白は計画するものでも
ないような気もする。
要するに、まちの余白は自然とできてしまい、まちの
みなさんは目ざとくどこにでも余白を見出してしまう
ものなのだ。