rat's eyes:脆弱なラショナリストの視点

脆弱なラショナリスト「建築家:岡村泰之」の視点

全く新しいデザインなどない


建築の設計をしていて、いつも痛感することがある。
新しいものをつくり続けていこうと日々デザインに
いそしんでいるのだが、さて新しいとはなにかなど
ということを考えはじめると、ほとんどのデザインの
イデアは何らかのかたちですでに先人が開発しつ
くし、画期的に新しいものなどほとんどないという
ことに気付かされる。


しかしだ。ここでがっかりする必要はない。その
デザインが生み出される時間や、場所、シチュエー
ション、などの周囲を取り巻くコンテクストは毎回
違うのである。デザインそのものは使い古されて
いても、デザインとコンテクストをセットでスタイル
のようなものとして提示することで、固有の新しい
提案はできる。


きのうのTV番組で、宮沢和史が「島歌」をつくり、
つくったあとで、これは単なるコピーではないかと
思い、悩んでいたとき、喜名昌吉から「心がこもって
いたら、それはコピーではなくお前の歌だ」と励ま
され、発表にこぎつける。


コピーであっても心が入っており、リアリティー
のある表現は、その表現者固有の新しさを有して
いる。


●きょうは雨。晴れが続くとたまには雨もいい。