rat's eyes:脆弱なラショナリストの視点

脆弱なラショナリスト「建築家:岡村泰之」の視点

建築の多様性


建築へのアプローチには大きく分けて2つある。


ひとつは、最も具体的で使いやすいかどうか、
部屋の数や面積が足りているかという現実の
世界からのアプローチである。


もうひとつは、コンセプトという言葉に表される
ように、人間の抽象化能力を使って「世界」を
把握し、その中で建築を位置付けていくという
抽象的な領域からのアプローチである。


現実的に使えるかどうかということは、建築が
使わなければいけないものである以上、外せない
前提条件である。しかし、機能的とか機能主義と
いうようなことばで抽象化することで、実用的な
ことを理解しようとすると、そのとたんに、そも
そもの使いやすいという意味からどんどん遠ざ
かっていき空論化する。それは、効率性しかり、
経済性しかりである。


一方、人間が脳の働きでものごとや世界を把握
する動物であるとすると、使いやすさとか実用性
とはかけ離れたところで生きていることになる。
コンセプトによって、建築を通して、世界を把握
したり、人間の存在理由を見つけたりするという
ことも人間的現実だということもできる。


ハッピーであるということは、思考を停滞させる
ことではない。想像力を喚起させ、思考を展開
させていくことで得られる。これを実現するには、
具体的に使って快適であると同時に、思考を展開
させるような魅力ある建築が存在しないことには、
人はハッピーになれないような気がする。


つまり、2つのアプローチは同時に展開されるべき
であり、この2つの軸のみならず、より多様な側面
から複合的に建築を考える必要がある。単純な
構成だが、複合的な感じ方ができる、文化的な
側面における複雑な建築が私がめざす建築だ。


人が思っているより、人間は複雑な生き物なのだ。


●写真は、近所の金木犀の木。金木犀の花の香り
が、いろいろなところから香ってくる。これから、
金木犀地図でまちを認識する日々が何日か続く。