rat's eyes:脆弱なラショナリストの視点

脆弱なラショナリスト「建築家:岡村泰之」の視点

地方の名もなき近代建築


写真は、私の母校「(旧)東郷町立桜小学校」である。


鳥取県の片田舎の小学校だが、私が生まれる前から
あるというから、50年くらい前に建てられたRC造の
近代建築である。今は、大半が取り外されてしまったが、
RCの「ブレーズ・ソレイユ」(日よけ)もついていた。
最上階の日よけには、小口にモザイクタイルが張られて
いる。また、ダストシュートという、各階の穴からゴミを
落とすと1階でゴミを簡単に集められる機構までついて
いた。それに、トイレは、その頃は珍しい水洗トイレで
あった。


小学生のころには、そんなことはちっとも考えたことが
なかったが、同年代の友達などに聞くと小学校がRC造
だった人はほとんどいないらしい。確かに、中学校は
木造で、ポッタントイレだった。


先だっての市町村合併で、この小学校も廃校になり、
コミュニティーセンターという、付けとけばアリバイに
なるような名前が付けられ、ほとんど機能していない
らしい。どう使えばいいかなんてアイデアを持っている
人はたくさんいるのにもったいない。なんなら、私に
聞いてくれたっていい。


このまちには、他にも「水明荘」というこれまた美しく
湖に映える近代建築があったが、取り壊され、新しく
中国風の醜い建築に建替えられた。


誰が判断して、すぐれた近代建築を残すかという問題は
非常に難しいが、壊されてみて、変なものが建つと、
おそらくだれの目にも明らかに前の美しい近代建築の
ほうが良かったと写るだろう。


これらの近代建築は、おそらく、近代建築の巨匠たちの
流れを汲む建築家の作品だと思う。


地方の名もなき近代建築についてもう一度考えてみても
いいかもしれない。