建築もそうだが、まちの構築物も計画された通りに
寸分違わず使われる確率はかなり低い。
写真は、豪徳寺駅前の広場だが、つくられた当初は、
なんて使われそうにないものをつくってくれたかと
思っていたのだが、いざ出来て時間が経ってみると、
使う側が広場の形状や機能に合わせて、いままで
すでにあったもののように上手に使いこなし始めて
いる。
建築でも設計で意図しているようには使われない
こともときどきある。とくに若い頃に設計したもの
はその確率が高い。
動作なり使い方を細部まで想定して計画された建築
は、実際にはそのように使われないことがときどき
ある。若い頃は、かなり細かく使い方を決めて設計
していたので、その傾向が強いのだろう。最近は、
こう使っても使いやすいが、違う使い方をしても
使えるように余裕や余白を残しておくようにしている。
もちろん、使われ方を想定するのは設計者の義務で
あるが、思ったように使われないこともあることを
想定しておくのもプロの仕事の一つだと最近は考える
ようになった。
人には、決められた空間をカスタマイズして、最適な
使い方を見出す能力がある。
使われ方を想定しながらもキチキチにつくりこまない
で、楽しみながら使い方を見出していける空間をつく
っておくこと。これも設計の極意かもしれない。
なんといっても、クライアントの方が何年か住んで
みて、住まい方や空間について発見されたことを
うれしそうに話されるのを聞くのが、設計者としては
いちばんうれしい。