rat's eyes:脆弱なラショナリストの視点

脆弱なラショナリスト「建築家:岡村泰之」の視点

休むということ


このゴールデン・ウィークは、数日休んだのだが、
休めたのか休めてないのか分からない不完全感が
残るものだった。


そんなことで、休むというのはどういうことだろうと
考えてみた。われわれのようなものづくりは、仕事を
しているときとそうでないときの境目がつけにくい。
余計、休むということが分かりにくい。


ついつい、家で昼からビールを飲んで昼寝をしても
休んではいるのだが、からだと頭の疲労は取れない。
またどこかに出かけても、日常とつながりのある
場所だと、休める感じがしない。休むってなんだろう。
ただただ、忙しくない日常を過ごすことなのだろうか。


日常とは違う、自然の中で数日過ごすことが本当
の意味で休むことなのかもしれない。日常の脈絡を
どうにかして分断することが休むことなのだろう。
時間的余裕と精神的余裕がないので中々できな
かったのだが、こんど一度そういう機会を持って
みよう。


休むってことは、けっこうむずかしいことなのかも
しれない。