rat's eyes:脆弱なラショナリストの視点

脆弱なラショナリスト「建築家:岡村泰之」の視点

ひたちなか市の住宅の地鎮祭


きょうは朝から、ひたちなか市の住宅の工事請負
契約と地鎮祭のために、フレッシュひたちに乗って、
ひたちなか市に出掛ける。


立ちくらみするほどいい天気だ。工務店社長による
地鎮祭である。社長、もう少し味わい深くやって
くださいよ。まあ、これが社長の個性というものか。
よしとしよう。


地鎮祭の後、クライアントのIさんご夫妻に昼食を
ご馳走になった。ありがとうございました。工務店
社長といい気になって、ビールを結構飲んでしまった。
帰りの電車はいい気分で居眠りしながら、東京に
戻ってきた。


クライアントのIさんご夫妻、そして、お母様、本日は
地鎮祭お疲れ様でした。いよいよ、工事がはじまり
ます。工事の安全を祈りながら、工務店さん、そして、
われわれの三者で知恵と力を出し合って、よりよい
住まいにしていきましょう。今後ともよろしくお願い
いたします。


●昨日は、結局、ああだこうだいいながら、はじめて
りんかい線に乗って、お台場に行くことになった。
プラネタリウムが、その主な目的だ。お台場は、人が
いるところでもいないところでも、疎外感を感じる場所
である。ただ、物理的に暑い。人の密度も不自然だ。
プラネタリウムのある日本科学未来館も変な建物で
ある。本来くつろげる場所であるアトリウムは、ただ
暑く、空間的にもおもしろくなく、かなり質が低い。
肝心のプラネタリウムも、午前11時に予約して、午後
4時にしか入れず、プログラムもミニマルにつくられて
いるのだが、テーマとなっている偶然性もはじめて見る
人にはちっとも偶然ではなく、試みは評価できるが、
楽しめない。ちょっと、愚痴のようになってしまったが、
お台場という場所自体が、気持ちをそうさせてしまって
いるような気がしてならない。