rat's eyes:脆弱なラショナリストの視点

脆弱なラショナリスト「建築家:岡村泰之」の視点

金魚の一生


きれいに写らなかったが、子供が金魚すくい
取ってきた金魚である。最初は、3匹いたが、2匹
になってしまった。


そんな金魚を見ながら、かれらの一生について
考えてしまった。養殖場で卵からかえり、出番まで、
水槽で多くの仲間とともに育てられる。ある程度の
大きさになったら、いよいよ旅立ちのときである。


あるものは、ペットショップへ、また、あるものは、
金魚すくいの業者へ、引き取られていく。最終的
には、マニアや子供たちに買われ、各家庭の水槽で
飼われることになる。スペース的には、大きなところ
から、だんだん小さなところへと移り住んでいく。


ここまで書きながら、人の一生に似ているような
気がしてきた。


金魚は、人間の意思のもとに、買い取られていき、
かれらには自由というものがない。また、本当の
世界を知らない。それに反して、少なくとも、この
日本という国の中では、ひとは自由を享受でき、
自分の意思で世界を見て感じることができるはず
である。


しかし、だ。ほんとうにひとは自由に生きている
のだろか。世界に対して、明確な意識をもって
生きていないと、自由を阻む見えざる力によって、
往々にして、金魚と同じような生活を強いられて
しまう。


自由は、意識的でない限り自分のものにならない。
自分のあたまで考え、自分のからだで行動しない
と、手に入らないものなのである。


現在の教育は、いまだ、子供たちに自分で考える
ことをさせようとしていない、たしかに、教育は
国家のためのものという側面もある。しかし、その
ことだけに固執して、国家にとって都合のいい人
だけを育て、考える人をつくっていかないことは、
長い目でみると、大きな損失であるような気がする。
なぜなら、よい組織とは、自立した個人の集まりが
まずあって、目指すべき目的を参加者みんなが
共有してはじめて、機能するものだからだ。


自分のあたまで考えて、自分のからだで行動しよう。


金魚を見ながら、そんなことを考えた。


はてなスターってなんだろうと思って、試しに
なんとなく3回押してみたら、自分の名前の星が
3つ付いてしまった・・・。