rat's eyes:脆弱なラショナリストの視点

脆弱なラショナリスト「建築家:岡村泰之」の視点

時の流れを想う


きのうは、福岡の大学時代の友人が、東京で
同窓会があったというので、事務所に遊びに
来た。6〜7ぶりだろうか。


そのあと、大学の先生の事務所に二人で訪ねた。
こちらも3〜4ぶりだろうか。先生もお会いしない
間にいろいろあったようだ。しかし、新たな境地で、
次なる模索をされており、あいかわらず、苦悩
されているようだ。


近くのイタリアンレストランに移動し、ビールを
飲みながら、いろいろお話を聞く。人生は、やり
たいことを続ける限り、つぎつぎと新しい問題と
苦悩に出会い続けるのか。それにしても建築は
深い。


その店で先生とは別れ、福岡の友人と事務所の
人ふたりと私で、新宿に移動して、午前3時まで
飲み続ける。こんなに遅くまで飲むのは久しぶりだ。
学生時代のこと、今のこと、懐かしさだけではなく、
いまこれからのことを話す。思い起こすと、学生
時代からこんな話ばかりしていた。最近の人たち
は、こういった暗い話深い話はめったにしない
らしい。


きのうの話の中で、あいもかわらず、世の中で
変わりきっていないことがあることに気付いた。
みんな、ブラックボックスをかかえて、駆け引きを
しながら社会と関わっているということだ。ブラック
ボックスや駆け引きが悪いといっているわけでは
ない。もちろん、必要なときはある。でも、それら
を使わなくてもいい環境をつくることができるなら、
なるべく使わない方が、お互い疲弊しないし、
気持ちよく生きていける。


気持ちや時間のロスのない、スムースにものごと
が流れていく環境をつくっていけないものだろう
か。


どうして、みんな、こんな単純なことに、ピンと
直感的に、気付かないのだろうか。不思議でたまら
ない。世の中というものは、急には変わらない。