rat's eyes:脆弱なラショナリストの視点

脆弱なラショナリスト「建築家:岡村泰之」の視点

ものと観念の狭間で


師曰く、「ものは残らないが、観念は残る。
ピラミッドだって、古い教会だって、ものが
残っているのではない、観念が残っている
のだ。だから、僕は、ドローイングや文章を
残す。」


空間だって、ものであるという。確かにもの
がないと空間も発生しない。でも、建築の
醍醐味は、もの性であり、空間性である、と
私は思う。滅びるのなら、なにも残らなく
てもいいではないかと若輩の自分は考える。
なぜ残さなければいけないのか。自己の
存在証明に過ぎないのではないか。でも、
天才には優れた観念を残す義務があるとも
思う。


それにしても、なにかを残していくという
ことにどんな意味や意義があるのだろうか。
自らが残そうと思うことにはあまり意味が
ないような気がする。少なくとも、私自身は
なにかが残ろうが残らまいが関係ない。その
必要性は、人が判断するものであるからだ。
そんなことを考えるくらいなら、静かにもの
をつくり続けたほうがいいと思う。


思いを具体化して、具体的に行動していく。


おそらく、年齢を重ねなければ分からないこと
もあるのだろう。至らない自分には、いまは
こんなことしか考えられない。