rat's eyes:脆弱なラショナリストの視点

脆弱なラショナリスト「建築家:岡村泰之」の視点

日本建築ツアー初日


11/4(日)、お昼過ぎに鳥取空港に降り立ち、
車中でお弁当を食べながら、三朝町方面に向
かう。途中で、名古屋回りで参加のスタッフ
Wを倉吉駅でピックアップし、三徳山三仏寺
目指す。


三徳山三仏寺は、私の実家から車で20分くらい
のところにあるので、中学の遠足やらなにやら
で、3〜4回は登ったことがある。そうは言って
も、最後にいったのは15年くらい前なので、
最後まで登れるかちょっと不安。登山口まで
の階段ですでに足ががくがくする。


それでも、数日後の筋肉痛という未来を抱え
ながらも、どうということなく投入堂まで上がる
ことができた。これまで、何度か登ったが、以前
と感覚が随分違う。晩秋に来たのははじめて
だからだろうか。


紅葉もきれいだし、投入堂にいくまでのお堂
のデザインも新鮮に感じた。また、投入堂自体
もあたまの中にあったイメージと、スケールと
プロポーションが以前感じたものと随分異なる
ような気がする。人の記憶というものがいかに
あいまいなものであるかを思い知る。だが、この
建築は名建築であることに変わりはない。


建築そのものに空間はないが、モノとして美しい。
いや、この建築をつくり上げた精神こそが美しい。
いつか、こんな建築もつくってみたい。


難なく、下山し、三朝温泉の宿に戻り、ひとっ
風呂浴び、投入堂の改修を担当された地元の
建築家から、投入堂話を聞きながら夕食、飲酒。
疲れたときのアルコールは、すばやくからだの
隅々までいきわたる。


若者たちは、夜の温泉街に消え、ツアー初日の
夜は更けていったのであった。