rat's eyes:脆弱なラショナリストの視点

脆弱なラショナリスト「建築家:岡村泰之」の視点

相撲の仕切り


きのうは、午後の早い時間から相撲中継を
観始める。目的はクライアントのSさんが
後援会をされている「鳥羽の山」をみる
ためである。Sさんは、場所ごとに番付表
を送ってくださっている。ビール飲んだり、
トイレに行ったりで、鳥羽の山の一番は
観逃してしまった。そのために、観ていた
のに・・・。


ぼんやり相撲を観ながら、仕切りの不思議さ
に気付く。そんきょして、にらみ合い、塩を
取りに立ち、土俵に塩をまく。そして、また
そんきょ・・・。なんどもそれを繰り返す。
いまは、幕下より十両十両より幕内のほう
が仕切りの時間は長いようだが、昔は時間
の規定はなく、力士二人の気合が共振する
まで続けられていたという。いまのように時間
制限ができたのは、テレビ中継が始まって
からだそうだ。


小学生の頃は、この仕切り時間がまどろっこ
しかった。こんなに時間をかけないでトット
相撲を取ればいいのにと思っていた。でも、
いまではちょうどいい間だと思えるように
なってきた。ビールを飲みながら、まもなく
行われる一番に思いを馳せながら解説を聞く。
時間的にちょうどいい。


それなりに、歳を取ってきた自分にふと気付く。
歳を取らないと分からないことは、思っている
以上に、たくさんあるということも分かるよう
になった。


それでも、一生青二才でいたいという自分も
その脇でしっかり生きている。