rat's eyes:脆弱なラショナリストの視点

脆弱なラショナリスト「建築家:岡村泰之」の視点

掃除の本質


年末、事務所の大掃除をした。しかし、自分の
デスクの周辺は、当日バタバタしていたので
そのままにした状態で年を越してしまった。


こんなことを思いながら、掃除ってなんだろう。
などという、ばかばかしい問いを立ててしまう。
ものづくくりの嵯峨なのだろう。


なんのために人は掃除をするのか。別にしなく
ても良いのではないか。自分の周辺のものを
なすがままにしておくと、人がコントロール
できないカオスが生じる。いわば、人の無意識
が具体的に現出したものともいえよう。


人は、良し悪しを問わず、意識と無意識を縦断
しながら生きている。意識は社会生活をしている
状態ともいえる。他者とともにいきていく場合、
無意識を抑圧する必要がある。無意識の状態
では合理的に社会とコミュニケートしていけない
からである。


しかし、常に無意識な状態にいても社会生活は
できない。無意識の状態を意識の状態にリセット
することをし続けながら社会と対応していくので
ある。


カオスと化した部屋の中、それはどんどん無意識
へと向かう。社会との接点を保つためリセットを
する必要がある。だからこそ、人は掃除するので
ある。


日々、生活していると意識もだんだん劣化してくる。
だから、一年を区切って、お正月という禊を通して
毎年リセットを繰り返すのであろう。


私には、どちらも実行できていない。掃除もできて
いないし、気持ちをリセットするような正月の迎え
もしていない。ふつうだと、しっかり掃除しようとか、
気持ちを切り替えてお正月を迎えようと思うのだろう。


偏屈な私は、できるだけこころの無意識といきて
いこうと思う。意識と無意識の狭間で、さまざまな
ものの本質を見極めていきたいと思う。


●写真は、きのうの夕暮れ。空がきれいだ・・・。