rat's eyes:脆弱なラショナリストの視点

脆弱なラショナリスト「建築家:岡村泰之」の視点

糸口は意外なところにある


なにか新しいものを生み出そうと考えるとき、
ふつう自分が属していない外部にそのヒント
を求める。いくらさがしても何も見つからない
とき、ふと自分の身の回りに目をやると、今
まで当たり前に見えていたものが異彩を放ち、
求めるものがすぐそこにあることに気付かさ
れることがある。


人のつながりもそうだ。学校の同級生や仕事
仲間だった人が、自分が個人的に興味を持っ
ていることのエキスパートだったりすることが
ある。


イデアやヒントは、どこかの場所にあるもの
なのではなく、自分が住んでいる世界の複数
のレイヤーの中に隠されているものだ。


思い込みが強すぎると、その求めるレイヤー
のありかを見落としてしまう。できる限りあたま
をフリーにしておきたいと思う。


駆け出しの頃は、デザインに対する思い込み
があまりにも強すぎた。強い分だけ、固定観念
にはまりがちだったともいえる。今では、かなり
無防備な状態でデザインを考えられるように
なった。依頼主のあたまの中に新しいものの
ヒントがあったりもする。また、現場の職人さん
のなにげないしぐさのなかにもヒントがある。


いつどこでそういうものと出合うか予想がつか
ない。だからこそ、無防備でいつづけなければ
ならないのだ。