rat's eyes:脆弱なラショナリストの視点

脆弱なラショナリスト「建築家:岡村泰之」の視点

ウラジオストク


きのうは完全オフの日曜日であった。午前中、
新宿に一人で買い物に行き、昼前家に戻って、
家族3人で梅ヶ丘の蕎麦屋で、最近お気に入り
なってきたカレーせいろ蕎麦を食べる。その
あと羽根木公園で、バドミントンとボール投げ
をして久しぶりにからだを動かす。からだの
節々が痛む。


昼下がりに、家に戻りゆったりとした時間を
過ごす。手持ち無沙汰になったので、冷蔵庫
に入っていた肉をまず鍋にぶち込み、人参と
玉葱と馬鈴薯を切って、トマト缶で煮込む。
2時間近く煮込んで最後になににしようかと
迷ったが、結局のところはそのまま塩で味を
調えてビーフシチューとしてみんなで食べた。


夜テレビを観ていると、明治初期の日韓関係
の番組になり、そのなかでウラジオストク
話が出てきて、ニコライ2世の時代に不凍港
をつくるために東方に設けられた軍港であった
ことを知る。その名も、日本語にすると「東を
支配せよ」。この地名を何も知らなくて使って
いたので、ちょっとびっくりというかショック。


土地の名前は、庶民によって自然発生的に付
けられたものも数多くあるだろうが、時の為政者
が特別な意味を込めて名付けられたものもたく
さんあるのだろう。


街や土地の名前を、その語源から調べていく
と通史とは異なる地政学的な歴史の断面が
見えてくるかもしれない。