rat's eyes:脆弱なラショナリストの視点

脆弱なラショナリスト「建築家:岡村泰之」の視点

いま建築はなにを頼りにつくればいいのか


フランス革命産業革命は、RC造と鉄骨造と
いう構法の発明を伴って近代建築という様式
をもたらした。かつての様式もそれぞれの
時代の変革と新しい構法によって形づくられ
てきたということができる。


モダニズムはデモクラシーとともに過去の
貴族によって積み重ねられてきた歴史から
断絶することによって成立した。その反動と
して、1980年代のポストモダニズムとデコン
ストラクティビズムは、前者は歴史との連続性、
後者はモダニズムの歴史化といういずれも
コンテクストに関わるムーブメントであった。
それらも今から振り返ってみるとモダニズム
という大きな流れの一過程と見えてしまうの
がおかしい。いまだモダニズムの時代は続い
ているのだ。


情報革命はなにをもたらすのだろうか。それ
に伴う新しい構法はまだなにも発明されてい
ない。それゆえ大きなスタイルの変化もない
のだろうか。


今という時代は、なにを頼りに建築をつくるか
が見つけにくい時代である。右肩上がりのとき
はその勢いだけでコンセプトは見い出せる。
残念ながら今はそうではない、最近、新しい
コンテクストを見つけていこうとする若い建築
家の動きをちらほら見かけるようになってきた。
そのことをを可能にするのは世の中の大きな
ビジョンがあるかどうかである。日本の政治の
一番の欠点はその政治行動にビジョンがない
ことである。これが起因となって、様々な機能
不全に陥っているような気がしてならない。


大きなビジョンを政治家だけに任せるのでは
なく、市民サイドからビジョンを描き政治へと
つなげていくことが必要になってきているの
ではないだろうか。


自分もこうした市民的スタンスで考え建築に
関わっていかなければいけないと考えている。
そこからしか本当のコンセプトは生まれてこ
ない。うわべだけではなく、ものごとが幅広く
深くつながっていくそんなデザイン活動をして
いきたい。