rat's eyes:脆弱なラショナリストの視点

脆弱なラショナリスト「建築家:岡村泰之」の視点

アートのちから


ここのところ、何人かのアーチストの作品に触れる
機会があった。すぐれた作品には人の気持ちを揺さ
ぶるちからがある。


アートの多くの作品は、普段の生活でものやかたち
に与えられている意味を脱構築し新しい地平を覗か
せてくれる。日常の固定されたコンテクストからもの
を取り出し、異なる脈絡に組み込み新しい意味を
そこから引き出してくれるのだ。アートはそんな凝り
固まった頭をほぐしてくれる効果を持っている。


コミュニティの多くの人が共通に認識しているもの
には安定した意味が付与さている。しかし、それを
違う場所に持っていくと意味が変化することもある。
ものに与えられた意味なんてそれほど強固なもの
でもない。こんな当たり前のことを忘れて、多くの
人はフリーズした思考のまま日常を過ごしている。
それはそれで安定しているからいいのかもしれない
が、フィックスされた状況から脱し何か新しくエキ
サイティングな思考をしたいと考えるとき、アート
は人にちからを与えてくれる。


建築もアート的側面をもっている。アートに比べて
より広範囲に渡って意味の更新を促すことができる。
フリーズすることなく、転がる石のごとく愉快に思考
を展開していきたいと考えている。


さまざまなアート作品に触れてそんなことを考えた。