rat's eyes:脆弱なラショナリストの視点

脆弱なラショナリスト「建築家:岡村泰之」の視点

夏休み最終日


きのうは当事務所の夏休み最終日であった。
朝は、ついついテレビでオリンピック中継を
観てしまう。


あまりに暑いので外に出るのは控えようと
思っていたが、かみさんからプラスチック
ごみを経堂のスーパーに持っていってほし
いと頼まれたので、炎天下の中徒歩で経堂
まで行く。まずは、スーパーでごみを捨て
そのあと、本屋2軒を回り本を1冊購入する。


茶店で読書をし、早めの昼食を摂って
いったん家に帰る。


お昼前、雨が降るという予報があったの
でまた徒歩で経堂のテニスクラブに行く。
連続テニス3日目最終日である。やっと
不調から脱出することが出来、気持ち良
くボールを打てた。テニスは、なにかの
バランスが少しだけでも違う調子が崩れ
てしまう難しいスポーツである。テニス
のあと、サウナで汗を流し、体を洗って
入浴する。マッサージは満員ですること
が出来ず。帰りに駅前のスーパーで買物
をして家に帰る。


このところオリンピックの中継を当たり
前のように観ているが、よ〜く考えると
不思議である。いつもなら、水泳も体操
も卓球なども国際大会であっても興味が
湧かずまずそう観ることはない。オリン
ピックとなるとついつい観てしまうのは
なぜだろうか。あれだけの多くの競技を
数週間の間行い続けるということに大き
な意味があるのだろうか。観るものだれ
もがナショナリズムに染まってしまうの
はなぜだろうか。ナショナリズムを発動
させる装置としてのオリンピックという
点には注意しなければいけない。そして
なぜこうした大会を開かなければいけな
いのか、よ〜く考えてみる必要がある。
また簡単にはまってしまう自分のことも
自戒の念を持って見つめ直してみよう。