rat's eyes:脆弱なラショナリストの視点

脆弱なラショナリスト「建築家:岡村泰之」の視点

境界:おもしろいことがはじまる場所


4月1日。
エイプリルフール。
気軽な気持ちでブログをはじめる。
日々考えていることを備忘録がわりに綴っていこう。


最近、「境界」について考える機会が多い。
おもしろいこと、興味深いこと、新しいことがはじまる場所。
世の中のしくみが本格的に改変される必要に迫られている昨今、
なにに目をつければものごとがみえてくるか考えをめぐらせてみる。
ひとつ、確信めいたことが見えてきた。


社会の中で、パブリックとプライベートについて
ものの所有と使用という観点みてみると、
パブリックは、共有であり共用である。
プライベートは、私有であり私用である。
身のまわりをみて、ものごとがおもしろく展開している場所は、
このパブリックでもなく、プライベートでもない。


それは、共有であり私用である場所(パーソナル)であったり、
私有であり共用である場所(コモン)であったりする。
いずれも境界が揺らいでいる場所だ。
誰が持っているかはっきりしている上で、それを供出するところ。
月島の露地を想像すると分かりやすいだろうか。
これら境界の揺らぎが発生するところで、
おもしろいことがおこりはじめている。
マスメディアとインターネットのせめぎあいもその一例だ。


われわれが活動している「快住計画」ももちろんこの考え方にもとづく。


変化を阻止しようとするひとたちは、
パブリックとプライベートに執拗に固執し続けている。