rat's eyes:脆弱なラショナリストの視点

脆弱なラショナリスト「建築家:岡村泰之」の視点

歴史的視点について


小学校、中学校、高校、大学で教わった歴史は、
ある数人の教師の授業を除いてほとんどが退屈でつまらないものだった。
史実のみを教え、覚えることが前提の教育だったからだ。
その裏に潜む歴史を綴るものの意思、
いまを生きるために何を学ぶかについては、
なにも語られなかった。


大学の4年から大学院2年まで、
2大戦間のイタリア合理主義建築を研究対象にしていた。
アダルベルト・リベラを中心にジュゼッペ・テラーニとの比較を交えた建築分析。
ファッショの体制下にありながら、モダンアーキテクチュアが存続し続け、
彼らはモダンも歴史的社会的連続性を保持できることを宣言しながら、
創作活動を続けていた。
私のこれらに対する歴史的興味は、
現在の自分の設計活動に何をどう活かせるかにあった。
設計活動において、歴史的にも社会的にもコンテクスチュアルでありながら
クライアントとの対話を重ねながらクリエイティブなものに転換していく、
いまの私の姿勢はそこに起源を持つ。
ふりかえると、このときはじめて歴史的視点の重要性に気づいたといえる。


歴史的視点は、どのような時代の下で、どういった思想を持って、
どのように歴史を切り取り、いまに活かしていくかを考えることによって
はじめて始動する。