rat's eyes:脆弱なラショナリストの視点

脆弱なラショナリスト「建築家:岡村泰之」の視点

小田急線の豪徳寺駅前広場?


写真は小田急線の豪徳寺駅前広場(?)を世田谷線の方から見たもの。
どうしてこんなことになってしまったのか・・・。
これは広場でもなんでもない。
いままでつながっていなかった道路がつながって、
出口が豪徳寺商店街と山下商店街にダイレクトになっただけではないか。


まちのためにも良くなったとは決して言えないし、
一見商店街のためになっているようだが長い目で見ると、
人の適度なたまりのない駅前広場は商店街を潤わさないだろう。
おそらく、昔の以前のホーム中央で降りて階段で商店街にアプローチするほうが
よっぽど魅力的だしまちのためになっていた。


どうしてこんなことになってしまったのだろう。
私も某駅のワークショップに参加したことがあるが、
常々決定方法に問題があるのではないと思ってきた。
行政レベルで、行政的な各分野の要望や多種な人々の意見を平等に取り入れて、
はっきりとした方向性のないものをつくっていくというシステム。
やはりこれでは問題は解けない。
それぞれの利害を取り込みながら、想定以上にみんなが満足し、
まち全体が魅力的になり潤っていくより高度な解決法はないものか。


それには、ある程度の決定権が与えられ総合的なアーティスティックな感性を
もった専門家を導入すること、そしてレベルの高いワークショップでものごとを
決定していくことが必要ではないか。
言及しているレベルよりさらに高次な解決策を見出すシステム、これが必要だ。


これらの言葉は自分への戒めでもある。
とやかく悪口を言っているだけでは何もよくもならないし、変化もない。
自分の興味のある分野でできる範囲でものごとにしっかりコミットして、
影響力を外部にもたらしていき続け、思いを同じくしているひとたちが
連携していく機会をつくり続けていくことが重要だ。