rat's eyes:脆弱なラショナリストの視点

脆弱なラショナリスト「建築家:岡村泰之」の視点

意識的であること


先日、子供に部屋を空けてくれという妻の要望で片付けをした際に、
今までたどり着けなかった私の本棚までの道のりが通行可能になった。
そのとき、学生時代に読んだ本に目が止まった。


エドモンド・リーチ著「文化とコミュニケーション」、
山口昌男編「説き語り記号論」、C・アレグサンダー著「形の合成に関するノート」、
ロブ・クリエ著「建築と都市のタイポロジー」、そして1976年の「都市住宅」3特集、
などなど・・・。


1980年前後は、「現代思想」や「エピステーメ」等の雑誌が全盛の時代であり、
世の中全体が、記号論構造主義等のフランス現代思想に影響を受けていた。
芸術、映像、文学、建築等々のあらゆる分野で・・・。
ソシュールフーコー、バルト、レヴィ=ストロースラカンなどが・・・。


私の学生時代もそれにたがわず、
研究室では、ゴシック、バロック、ピクチャレスク、フランス啓蒙期、
2大戦間のイタリア合理主義などの建築を、記号論的・構造主義的に分析し、
それらの成果をどのようにいまの建築の設計に生かせるかを
研究テーマとして取り扱っていた。


その研究の中でフューチャーされていたのは、
意味生成と、イマジネーション喚起のメカニズムであった。
この姿勢は、かたちをかえれど今の私の設計姿勢の根幹をなしている。


もう一度、「意識的に」記号論構造主義を見直す機会をつくろうと考えている。
内田樹著「寝ながら学べる構造主義」を妻から借りた。
現在から再度過去を確認してみよう、それも意識的に・・・。
ものごとを考えて行動するときは、意識的でなければ広がりも展開もない。
とりあえず意識的になること。
無意識を無視するという意味ではない。
無意識は後で評価されればいいものだと思う。