rat's eyes:脆弱なラショナリストの視点

脆弱なラショナリスト「建築家:岡村泰之」の視点

思想はいま身の回りにある


私の学生時代は、思想の時代であった。
一世代前の全共闘世代のイデオロギーとは一線を画した
フランス現代思想中心の議論がいたるところで行われていた。
学生はファッションとして「現代思想」を小脇に抱えていた。


あのときの記号論構造主義の議論はどこに消えてしまったのだろうか。
ポスト構造主義が唱えられると時を同じにして思想は消滅した。


イデオロギーの時代の関心は社会の方向性にあった。
フランス現代思想の時代はもう少し身近なところに降りてきて、
社会のしくみや構造の分析に関心が移った。


そしていまは・・・。
おそらく個人的な活動の中に思想は宿っている。
社会全体のものとはならないけど、
ひとりひとりがものを考えて行動すれば思想が生まれ結実していく。


ひとりひとりが個人的な責任を負って自分の頭で深く考えること。
そして考えている人が連携していくこと。


そこにしかこの混沌とした状態を抜け出す手立てはない。