rat's eyes:脆弱なラショナリストの視点

脆弱なラショナリスト「建築家:岡村泰之」の視点

ラショナル


学生時代の研究テーマが、二大戦間のイタリアン・ラショナリズム建築
だったこともあって、建築についてはもちろん日常生活についても
ラショナルなものを好む。


ラショナリズムの邦訳は「合理主義」というのが定訳となっているが、
この訳だと、アメリカのプラグマティズム的な意味が入り込み、
経済的な合理性や、実現までの効率性が強調され本来のラショナルの
意味とズレが生じてくる。


学生時代、私は「理性主義」と訳していた。
根本的な思想をもち、それに連続した方法でものごとにかたちを持たせ、
実践していくこと、これがラショナリズムの本質だ。


いわば、「スジを通す」ということとほぼ同義だということができる。
ある構想なり考えをもち、その視点から考えて、ものごとを実践するとき、
一貫性を持って対処すること、これがスジを通すということだ。


世の中、スジの通らないことが多すぎる。
ラショナリストとして、できるかぎりスジを通して生きていきたい。