rat's eyes:脆弱なラショナリストの視点

脆弱なラショナリスト「建築家:岡村泰之」の視点

「なぜ「話」は通じないのか」


仲正昌樹著の「なぜ「話」は通じないのか」を読む。
なぜ話が通じなくなったか。
私の誤読もあることも恐れず、非常に大雑把に要約すると、
著者は、「歴史の終焉」と「大きな物語の消滅」を取り上げて、
いまの世の中のコミュニケーション不能な状況を解き明かしている。


●「歴史の終焉」。
・一つは、ヘーゲル主義的な意味で、歴史の発展が最終段階に
到達して終焉し、もはやこれ以上価値観やライフスタイルをめぐる
闘争がなくなり、人類は平和に共存するようになるという意味。
・もう一つは、ポストモダン思想の文脈で語られるもの。
もともと歴史と呼ぶべき、人類にとっての決まった方向性=意味
などなかったのであり、そのことが最終的に判明した、という
意味での「歴史の終焉」。


●「大きな物語の消滅」。
ポストモダン思想の文脈の中で、「歴史=大きな物語」の終焉が
声高に叫ばれる中で、「カルチュラル・スタディー」などのように
はっきりと目立たないが我々の日常を支配している権力のミクロな
網の目を暴露していきながら、それに対抗する「小さな物語」を
模索する立場をとるグループが増えている。この「小さな物語」を
志向するグループにはピンからキリまであり、秩序なき物語の
増殖を加速させている。


このように、現代におけるコミュニケーションは、ひとびとに
共通する「大きな地平」を欠いた状態でなさなければならないと
いう困難さに直面している。
著者は、言葉のはしばしに単純に反応するようなバカなことはやめて、
共通の地平がないことを理解した上で、本当の意味での「対話」の
必要性を説いている。本の中に書かれている事実は結構痛々しい
ものが多いが端的にコミュニケーションの不可能性を表現していると
いう意味で適切なサンプルだと思う。
内なるパブロフの犬に鉄槌を!!(またまた自戒)


いま本当の意味でのコミュニケーションをするには、相対する人々が
なにかを話し合う共通の地平を見つけ出す作業をお互い努力して
見つけ出し、問題解決のために理解し合える目的を設定して
真摯にお互いの話を理解しながら、「対話」を進めていくことである。


私自身の仕事である住宅の設計においても、共通の地平を見つけ出す
ことがなかなか困難な状況になってきていることを痛感するが、真摯に
本当の意味での「対話」をすることで、すまいづくりの目的を一緒に
見い出し、最終的に納得できるものを地道につくっていくことを
コツコツと実行し続けていこう。