rat's eyes:脆弱なラショナリストの視点

脆弱なラショナリスト「建築家:岡村泰之」の視点

樽、回想


10数年前から、鳥取県の東郷温泉と羽合温泉から
まちおこしに関する相談を受けていた。


商工会から紹介されたコンサルタントによる講演会等は
結構頻繁に開かれているようだった。
しかし、お題目は唱えていくが具体的なアクションにつながらない
という不完全燃焼が続いていたようだ。


そこで地元にまつわる人間ということで私に白羽の矢が立てられた
ということらしい。
私が講演会で強調したのは、大きな構想を持ちながらも具体的な
目に見える行動をみんなでおこすことであった。しかも低予算で・・・。


最初に取り掛かったのが、中国原産のモッコウバラを町中に
植えることであった。そのころ県の事業で、燕趙園という
日本最大規模の中国庭園が東郷温泉の近くに建設中であったため
それにあわせて中国にまつわるものでまちおこしをしようという
発想だった。いまでも商工会婦人部の方々の手によって展開され
続けている。


つぎに、5年前くらいだろうか、私の父の友人が経営している
つくり醤油屋さんでつかっていない樽(直径2.5m、高さ2m)が
13個くらいあるからただで持っていっていいよという情報が入ってきた。
すかさず、これらの樽をまちの各地に配置し、温泉の廃湯を
樽の中に流し、湯気を町中に立たせることで温泉情緒を演出したらどうか、
一部は露天風呂にしたらどうかという提案をした。


かかる費用は運び出しと運搬費用だけで済むはずだった。
関係者はみな口をそろえて面白いアイデアだといってくれた。
しかし、誰一人として、さあやってみようと具体的なアクションを
おこす人はいなかった。


そこで、業を煮やした羽合温泉でみやげもの屋を経営する高校の同級生が
店舗改装と同時に店内に2個、屋外に3個、樽を出すと宣言し去年の暮れに
それを実行した。


そうしたらどうだろう。
同級生が樽を出したとうわさに聞いた人たちが、無計画にそれぞれ
勝手なところに樽を持ちだしてしまったらしい。
どこに行ったのか消息が分かったのは2個だけ。
蔵に行くとすでにもぬけの殻だった。


要するに最初にアクションをおこす人がいるかいないかがまちおこしなどの
大きなポイントになるようだ。
このようにまちを演出するための樽出しは失敗に終わった。


まちおこしは、お金をかければよくなるようなものではない。
もちろん、必要なところにはお金を使う必要はある。
問題はまちのひとが自分の頭で考え自分のからだで行動することである。
モッコウバラや樽のように、予算の少ない中で
大きな効果をもたらす題材は田舎にはたくさんある。
その場所に住む人たちにはそれが見えないだけで、じつはそのような資源は
おどろくほど多くあると思う。
それらを見つけるべくみんなで頭を使おう。


そして、小さな一歩でも最初の一歩を踏み出す勇気をもとう。


●写真は、同級生のおみやげもの屋さんの横においてある樽。