rat's eyes:脆弱なラショナリストの視点

脆弱なラショナリスト「建築家:岡村泰之」の視点

こまった人


養老孟司著の「こまった人」を読み終える。
最近の読書は移動時間がほんとんどである。
虫と社会と国際情勢に関するエッセイ。
相変わらず、立ち位置のはっきりした文章である。


それにしても「バカの壁」はかなりやさしく書いてあるというものの、
あんな難解な内容を扱った本がよく300万部も売れたものだ。


「こまった人」の印象に残ったところを書き留めておく。


●ひとつは、自分に合った仕事を見つけるのは至難のわざであるということ。
ならば仕事に自分を合わせていけばいい。
仕事をしながら自分の生き方を見つけていけばいい。
「本当の自分」なんて幻想だ。
あるがままの自分が自分だ。
人は変わっていくものだ。
確かにそうかもしれない。


●もう一つは、日本語では不定冠詞・定冠詞の役目を「は」や「が」の
助詞がしているということ。
確かに「日本人は」というと概念的な一般論を示し、
「日本人が」といえば、特定のことを指し、
感覚的な内容を示す。
ところが、中国語にはこれらを区別するものがないとのこと。
だから、「日本人」を主語にして語るとき、概念のみが先行し、
感覚が欠落して話されるのではないかという推論。
そういえばそんな気がする。