rat's eyes:脆弱なラショナリストの視点

脆弱なラショナリスト「建築家:岡村泰之」の視点

線を引くこと


修行時代、師匠からは、飴を引くように線を引けと言われた。
あのころは製図版ではなく、デコラが貼ってあるテーブルに
早稲田式のロールトレペをカットしたトレーシングペーパーを
セロテープで貼り、T定規を使ってホルダーで図面を引いていた。


師匠は、目地を多用する建築家で、目地は裏トレ(トレペの裏に
カテゴリーの違う線を引くこと。今で言うとレイヤーを変えること。)
していたので、その際、製図版ではなく机だったので完全な平行線には
ならないため、左右に裏返すのではなく上下に裏返さないと
表裏の線が合わなかった。


手で図面を引いていた時代には、線に「情念」のようなものが込められて
いたような気がする。こだわりたいところは何度も消しては書くため、
トレペはデコボコになり消えきっていない線も含めて、
どこにこだわっているのか自ずと伝わってきた。
製図がスケッチの延長線上にあったのだ。


私は、35才を過ぎてからCADに移行した。
手で図面を引くのとCADの両方を知っているちょうど狭間の世代と
いえよう。


独立して一人で仕事をしているときに、CADに変えてよかったことは、
カット&ペーストを多用すると製図にかける時間がかなり節約でき、
スケッチに多くの時間をかけることができることだ。
いまの若い人たちははじめからCADで、手で図面を引くことを知らない。


知らなければいけないと言っているのではない。
昔のように線に「情念」を込めろとも言わない。
図面を引くにかける時間が短縮できた分、考えることやスケッチに
時間をたっぷり使い、線に「観念(概念?)」を十分に込めてほしい。
そのような過程を経て引かれた図面は、だれにでも意味が伝わる図面に
なるだろう。