rat's eyes:脆弱なラショナリストの視点

脆弱なラショナリスト「建築家:岡村泰之」の視点

アパートらしいアパート


写真は、豪徳寺のアパートらしいアパート。
入り口まえに前庭があり、流し、洗濯機、自転車、植栽
などがあり、住み手によって個性あふれる使われ方が
されている。名前も、「〜荘」である。


私のアパート遍歴の中でもこんなアパートらしい
アパートに住んだことがない。


最初の住まいは、大学の教養課程がある東大宮という
ところの建材屋さんの3階建て学生専用アパートである。
トイレ・お風呂・キッチン共用で、6帖一間家賃12000円の
だった。一応鉄骨だが、揺れるわ断熱は悪いわでなかなか
手ごわい建物であった。今はもうない。


次に移り住んだのが、武蔵小山の四畳半トイレ共用家賃
17000円の下宿みたいなアパート。ここはあまりにも
つらいので一年で引っ越す。


つぎは、十条商店街の篠原演芸場前の1階パチンコ屋、
2階雀荘、3階カラオケバーの4階を友達5人でシェアー。
屋上は使い放題だった。目の前の篠原演芸場の横丁で
「ブツ」の取引があるというので刑事が数人部屋に
張り込みに来たことがあった。なかなかスリリングな
ところだった。RC造で最上階だったこともあって夏場の
輻射熱にはかなり参った。家賃はたしか2部屋借りて
家賃25000円くらいだったと思う。
これももうない。


つぎが、いちばん長く住んでいた高田馬場のアパート。
大家さんには大変お世話になった。家賃を滞納したり、
遅れて払いに行っては、夕食とお酒を毎月ご馳走に
なっていた。姪子さんをお嫁さんにどうかとも勧められた。
本屋、映画館など文化的なものがすぐ近くにあり、貧乏
だったが充実した日々だった。トイレ・流し付き6帖一間
家賃27000円だった。ここももうない。大家さんは今頃
どうされているだろうか。


つぎは、西早稲田のはじめてのワンルームマンション。
といっても、4階建て部分とは別棟で、機械室上の平屋
2戸のひとつ。28才で独立したのを機会に移った。
ここはまだある。


これが私のアパート遍歴。
アパートらしいアパートを見てこんなことを思い出した。