rat's eyes:脆弱なラショナリストの視点

脆弱なラショナリスト「建築家:岡村泰之」の視点

キャンディーズ


きょうは、午前中、中野の住宅の現場。
帰りに高田馬場で途中下車していつもの通り書店「芳林堂」
で2冊本を買い、地下の中華屋「新雅」で半チャンラーメンを
食べて事務所に戻る。ちなみに購入した本は、宮沢章夫著の<東京大学「80年代地下文化論」講義>と冷泉彰彦著の<「関係の空気」「場の空気」>。写真は「芳林堂」の
入っているビル。


午後は、スタッフミーティング。
その後、スタッフとプロジェクトミーティング4本。


きのう、新聞のテレビ欄をみていると、「キャンディーズ
という文字をみつける。彼女らのライブ映像である。ついつい
見入ってしまった。私が中学・高校時代に流行った女性三人
アイドル歌手グループである。「ピンクレディー」と人気を
二分していた。


私の「青春時代」は、今では死語になってしまった「歌謡曲
全盛時代だった。彼女らのグループのうたう歌も間違いなく
「歌謡曲」である。


「歌謡曲」、それを歌う「アイドル」とはなんだったのだ
ろうか。おそらく、「歌謡曲」と「アイドル」の時代は、
1970年代、つまり私の青春時代に死んだ。死神のように
自立した個を武器にそれを延命したのが、小泉今日子
あった。「歌謡曲」「アイドル」はまだこの国にまとまりが
あり、希望に向かって成長し、同じ夢を見ることができた。
今からみるとちょっと気持ち悪い時代である。しかし、その
中にいだかれているととても心地よいものだったと記憶して
いる。自立よりも同化の時代だったのだ。決して目立っては
いけなかった。できるだけみなが同じでなければなら
なかった。


ちょっと前には、「パフィー」の日比谷野音のライブを
これまた、たまたまテレビでみた。「パフィー」は井上陽水
奥田民夫から数多く楽曲を提供されているので、前から
好きなデュオだった。「パフィー」が歌う曲は「歌謡曲
ではない。でも、「ドリカム」のようにアーティストでも
ない。どっちつかずがいい。社会とのズレがおもしろい
デュオだ。


青春時代に聴いた「歌謡曲」や「ニューミュージック」は
その頃の、におい、皮膚感覚、風、などの五感にまつわる
記憶をよみがえらせる。とくのそれらの熱心なファンでは
なかったが、あの頃の時代ってやつはいったいなんだった
のだろうか。高度成長の終わりかけた隙間の時代・・・。
そんな時代に僕たちは生きていた。


きょうはちょっと恥ずかしい話をしてしまった・・・。