rat's eyes:脆弱なラショナリストの視点

脆弱なラショナリスト「建築家:岡村泰之」の視点

デザインのこと、僕らの世代のこと


暑い。でも、梅雨のじめっとした暑さではなく、夏らしい
暑さだから許せる。


時間のすきまに、深澤直人著の「デザインの輪郭」と
いう本を読んでいるが、「ものをあるべき姿に戻して
いくことがデザインである」という考え方は、私が建築で
実践していることに非常に近い。


要望や外的要因でふつう建築はデザインされる。もの
の一面だけしか見ていないと、ふつうの建売住宅の
ように薄っぺらいものになってしまう。ものごとは実は
かなり多面的である。要望や外的要因も掘り下げて
いくと多様であり、どういうものをつくりたいか、どんな
ものがここにふさわしいか、が複合した状態で目の前に
現れてくる。さらに、既成観念を取り払っていくと、素直な
もののあるべき姿が浮かび上がってくる。うまくそれらを
建築的に解決できると、フッと腑に落ちる感じがする。


最近、以前より明確に自分たちの世代(1960年前後
生まれ)のいい意味での特殊性を感じている。上の
全共闘とは直接つながりはないが、彼らが勝ち取った
自由を享受し、下の共通一次試験(センター試験では
ない)世代から始まる体制にがんじがらめにされた
世代とは一線を画す。高校時代がそのことをもっとも
如実に感じた時代だったかもしれない。制服はあったが、
髪型と髪の長さは無制限に自由、学校の決め事は
生徒会と職員会議の調整で決められた。また、校内や
飲食店での飲酒は厳格に禁止されていたが、学園祭の
ときなどは友人の家での飲酒は生徒の責任のもとで
事実上容認されていた。学園祭の期間はなんと一週間
もあった。私の所属していたバレーボール部でも
ほとんどが長髪で、髪をかき上げながら試合をしていた。
先輩たちは結構強かったが、我々はかなり弱かった。


我々が大人になりたての1980年代は、振り返ってみると
とてもエキサイティングな時代だった。「西武」という
企業経由だが、コンセプチュアルアート環境音楽
この時代に日本にいいかたちで紹介された。あの奇妙な
時代がなかったら、フランス現代思想やコンセプチュアル
アートや環境音楽は知らなかったであろう。


そんなこんなで、宮沢章夫著の<東京大学「80年代地下
文化論」講義>をはやく読まなければ・・・。