rat's eyes:脆弱なラショナリストの視点

脆弱なラショナリスト「建築家:岡村泰之」の視点

道具考


これまた、途中まで読んで置きっぱなしだった
高城剛著「ヤバいぜ!デジタル日本」(集英社
新書)を再び読み始めた。なんと1/3位のところで
急に内容がおもしろくなってきた。


ITやデジタルは道具であり、そのさきになにを
見つめるか、つくっていくかが重要であるという
ことが、この本の主旨である。


著作権に関する著述部分がとくに興味深い。コピー
されないように防御を固めるより、コピーされる
ことによって、情報を開き、そのことによってより
多くの利潤を上げていくことのほうがこれからは
可能性があると氏はいう。


ITをイットと呼ぶ輩にとっては、物理的基盤を
整備することによって、既存勢力に仕事をばら撒く
という構図だったのだろう。物理的整備にしか
興味がなく、IT環境を整備した先になにを見つめ
るのかなにをやるのかという視点は全く欠けていた。


韓国ではIT環境を整備すると同時に、日本の映像
文化が解禁される前に、実写映像関連に国家的に
投資し、「冬ソナ」などの一定の成果を上げた。
日本文化の韓国への一方的な流通を夢想していた
日本は完璧な敗退であった。


イギリスあたりでは国家価値を引き上げるための
国家ブランディングを国を挙げて進めているらしい。
イギリスの価値を上げることで国内産業その他
諸々の価値を上げていくという国家戦略だ。


このようなことを述べた後、氏は日本のハイブリット
能力の高さを評価し、これからの日本のあり方を
示しているという。いやはや高城さんは相変わらず
元気である。


●写真は、近所のお肉屋さんの冷蔵庫の屋外機。
こんなに古そうなのにまだちゃんと機能している。


うちのチャンネル式の1978年製のパナソニック
カラーテレビも今だ健在である。1980年頃までの
電化製品やコンピュータは部品がほとんど国産
なので壊れにくいと誰かがいっていた。


コンピュータもCADも単なる道具だ。便利になる
ことで浮いた時間で、これらの道具を使って先に
なにを見、なにをつくっていくかを頭を絞って考えて
いかなければいけない。