rat's eyes:脆弱なラショナリストの視点

脆弱なラショナリスト「建築家:岡村泰之」の視点

意思のベクトル


きのう(10/30)の「ほぼ日刊イトイ新聞」のダーリン
コラムで糸井重里さんが、「深いって、いいことか?」
という文章を書かれていたが、私もなんとなくいいこと
だとされていることに、無意識ながらも疑問を感じて
いた。


いいこととされていることには、「深い」、「重い」、
「強い」、などがあるが、人はなにかに感嘆したり、
褒めるときにこれらのことばを使う。


糸井さんは、永田野菜の永田さんから、「根が深く
ても深いところには栄養がないし、深い根は細い。浅い
根は、栄養があれば、浅く太く幅広く根を張ればいい
野菜ができる。」というようなことを、フランス
旅行中に聞く。


深いvs浅い、重いvs軽い、強いvs弱い、などという
ことばは対立項のように、物事を判断する指標のように
使われているが、本質は比較の基準ではなく、人の
意思の問題であって、深かろうが浅かろうが、重かろうが
軽かろうが、強かろうが弱かろうが、関係はなく、
意思のベクトルのようなものがあるかないかだと思う。


こんなことをぼんやり考えている。