rat's eyes:脆弱なラショナリストの視点

脆弱なラショナリスト「建築家:岡村泰之」の視点

眼に見えているものでさえ「イマージュ」である


「イマージュ」といえば、写真、映像、鏡像、などを
思い浮かべる人がいるだろう。


眼に見えているものは、ふつう人はみな現実だと
「思い込んでいる」。


眼に見えているものとは、周囲にある物体に光が
当たり、眼のレンズを通して、網膜に照射され、
それを電気信号に変え、それを脳がイマージュに
変換し、それを物体として「認識」する。


眼に見えているものでさえ、イマージュなのである。


それゆえ、人によって見えているものは異なる。
それを同一のものだと認識しているのは、人間
社会の取り決めによる。


眼に見えているもの、それに五感で感じているもの
でさえ、イマージュだとしたら、人間を取り巻く
ものはすべて脳で再構成されたイマージュに過ぎ
ない。


悲観的なことを言っているのではない。人間は
イマージュから、脳や社会の共通認識(ことばなど)
によって世界を把握しているということができる。
それだけ、「想像力」は人間にとって重要なものだ。


人間は想像力の動物である。それぞれの自立した
個人が自分の頭で考え想像し、想像力によって
お互いや社会を考える。現実現実と人は言うが、
想像力によって、よりハッピーな関係、社会、世界
がつくれないものかと考える。