rat's eyes:脆弱なラショナリストの視点

脆弱なラショナリスト「建築家:岡村泰之」の視点

ハッピーのしくみ


私は、幸福ということばのもつミョーな安定感が
きらいで、よくハッピーということばを使う。


安定することがわるいわけではないと思うが、
安定していけばしていったで、その先には安定
しかないわけである。それは非常につまらない
ことのように思う。


もちろん極端な不安定も困る。これはこれで
アンハッピーである。


となると、ハッピーってのは、日常からのチョット
だけの逸脱ということになるのだろうか。


たしかに、毎日のおもしろさは、毎日のチョット
した変化や逸脱で生まれるような気がする。
ハッピーな変化や逸脱があるには、人間同士に
信頼関係があることが前提になるわけだが・・・。


これがハッピーであり、快適さであり、豊かさ
なのだろう。


建築をデザインするに当たっても、これらの変化
や逸脱が生じる可能性を残しておくために、必ず
余白をデザインしておく。


そこには必ずといっていいほど、想像力という
力が関わっている。


●写真は、庭のフキノトウ。もう食べられない
くらい大きくなってしまった。