私は、幸福ということばのもつミョーな安定感が
きらいで、よくハッピーということばを使う。
安定することがわるいわけではないと思うが、
安定していけばしていったで、その先には安定
しかないわけである。それは非常につまらない
ことのように思う。
もちろん極端な不安定も困る。これはこれで
アンハッピーである。
となると、ハッピーってのは、日常からのチョット
だけの逸脱ということになるのだろうか。
たしかに、毎日のおもしろさは、毎日のチョット
した変化や逸脱で生まれるような気がする。
ハッピーな変化や逸脱があるには、人間同士に
信頼関係があることが前提になるわけだが・・・。
これがハッピーであり、快適さであり、豊かさ
なのだろう。
建築をデザインするに当たっても、これらの変化
や逸脱が生じる可能性を残しておくために、必ず
余白をデザインしておく。
そこには必ずといっていいほど、想像力という
力が関わっている。
●写真は、庭のフキノトウ。もう食べられない
くらい大きくなってしまった。