rat's eyes:脆弱なラショナリストの視点

脆弱なラショナリスト「建築家:岡村泰之」の視点

固定観念再考


ことあるごとに、固定観念を捨てようと言って
いるが、すべての固定観念がなくなってしまうと、
人と人とはコミュニケートできなくなってしまう。


ことばもそれを話す人同士が固定観念として
そのことばの意味付けを了解しているからこそ
意味が通じる。また、お金もあれほど抽象的な
ものであるにもかかわらず、その価値をそれ
ぞれの人が認知しているから、モノと交換できる。


では、なんの固定観念を捨てればいいのか。
ことばやお金のように、1対1で意味や価値がなり
たつものは、なくしてしまうと社会が成立しなく
なる。


思想、経済、文学、芸術、建築などは、それらの
1対1の意味や価値をなすものの複数の複雑な
組み合わせで意味を生じている。このレベルでの
固定観念こそが、自由な発想やイマジネーションや
感性を、がんじがらめにし、社会を膠着させて
いるのである。そこからは、ハッピーは生まれて
こない。忌むべきはこうした固定観念なのだ。